東京高等裁判所 昭和34年(う)2190号 判決 1960年5月24日
控訴人 被告人 稲村正雄
弁護人 植月浅雄
検察官 高田正美
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意については、弁護人植月浅雄が差し出した控訴趣意書の記載を引用する。
所論は、原判決には事実の誤認ないし法令の解釈適用を誤つた違法があると言い、被告人は本件銃猟の場所が銃猟禁止区域であることの認識を欠いていたのであるから、故意がないことになるのにかかわらず、原判決が被告人の故意を認め有罪の言渡をしたことは事実を誤認し、かつ錯誤についての法律を誤解したか、または理由不備ないし理由そごの違法を犯したもので、不当も甚しいと主張する。
ところで、本件において、原判示のとおり、被告人が昭和五年警視庁告示第三一五号により設定された銃猟禁止区域内において銃猟したことは記録上明らかであるけれども、記録によれば、当時被告人において右場所が銃猟禁止区域内であることを知つて銃猟したと認むべき明確な証拠は存しない。(当時現場付近にその場所が銃猟禁止区域であることを表示する標識が設置されてあつたと信ずべき確かな証拠はない。記録によれば、本件現場は、新荒川筋の堀切橋とその上流堀切鉄橋との中間に位し、警視庁告示第三一五号に定められた銃猟禁止区域である右堀切橋上流の新荒川筋一帯の中に含まれるものであつて、記録中、東武鉄道堀切駅勤務鉄道員三名が警視庁水上警察署長にあてた三通の事実答申書の記載によれば、昭和三十三年二、三月ごろ、前記堀切橋のたもと付近に、同橋から上流一帯が銃猟禁止区域であることを示す立札が設置されてあつたことを現認したと言い、あたかも右立札が本件発生当時にも現存していたかのようにいうのであるが、右の者らが立札を現認した時期は、同人らが後に原審公判において証言したところに徴すれば、あいまいで明確を欠くし、また本件について被告人を検挙した警察官の同公判における証言によれば、当時銃猟禁止区域の標識が堀切橋のたもとにあつたというけれども、当審において重ねて同人を取り調べた結果によれば、その証言は単に過去の経験に基くもので必ずしも検挙当時なおその現存していたことを確認した趣旨ではないことがうかがわれるばかりでなく、記録中さらに他の証拠、すなわち本件銃猟禁止区域を管理する所轄庁である東京都の係員、都から委任を受けて右禁止区域の標識の設置を実施した地元区役所の係員、当局から委嘱されて右禁止区域の監視に任じていた銃猟監視員らの原審ならびに当審における証言等によれば、本事件発生前における最近のものとして昭和二十四年ごろ本件銃猟禁止区域にこれを表示する立札が設置されたことは、これを認めることができるが、その後いつしか滅失し、当局の管理も行き届かないまま、放置されて本事件発生当時にはすでにこれらの立札はなくなつていたのではないかと推認されるうえ、しかも当時地元の区役所の担当係員らは、原因は不明であるが、本件銃猟禁止区域が、告示にあるように堀切橋からではなくして、堀切鉄橋から上流一帯を指すものであるかのように誤解していた疑が十分であり、右区域の標識も従来その誤解の線にそつて堀切鉄橋から上流にかけてこれを設置していたものと認められ-このことは、都の係員が当公判に提出した昭和三一年三月五日付地元区役所から都所轄局長にあてた既存銃猟禁止区域の存続についての意見回答書添付の図面によつて裏付される-現に銃猟監視委員の中にもそのように信じていた者がある事実がうかがわれる。かようなわけで、被告人が標識によつて当然本件銃猟禁止区域を知つていたはずであると認めることはできない。次にまた、記録中関係者の証言によれば、従来実際上各地区の猟友会において、会の機関雑誌、講習会等により、銃猟禁止区域の所在について、会員に対し、少くとも地元ならびに周囲近辺のそれについては、これが周知をはかるため指導していた事実はみられるようであるけれども、それとて必ずしも徹底していたとは言えず、現に本件において被告人の所属する台東猟友会支部の会長が原審公判において証言したところによれば、同人自身本件銃猟禁止区域を知らなかつたというのであるから、前述のような猟友会の事実上の指導により、被告人が当然本件禁止区域を知らなければならないはずであるというわけにもいかない。なおまた、本件について被告人を検挙した警察官は、原審公判において、当時被告人は本件現場が銃猟禁止区域であることを知つていたと思う旨証言しているけれども、これを首肯するに足る具体的根拠を欠くばかりでなく、当審において重ねて同人を証人として取り調べた結果によれば、その点については記憶がない旨述べているし、その他記録上うかがい得る被告人が本件について検挙された当時の状況からみても、被告人が本件現場が銃猟禁止区域に属することを知つて銃猟したと認むべき証左はない。)
しかるに原判決は、被告人において本件銃猟の場所が銃猟禁止区域に属することを知らなかつたことは、いわゆる事実の錯誤に基くものではなくして法の不知に帰するから、犯意を阻却するものではないとし、ただちに被告人の所為に対し狩猟法第一〇条第二一条第一項第二号を適用し、有罪の言渡をしたのである。しかし、被告人において本件銃猟の場所が銃猟禁止区域に属することを知らなかつたことは、狩猟法第二一条第一項第二号に定める「銃猟禁止区域において銃猟した」罪を構成する事実の認識を欠いたものというべきで、刑法第三八条第三項にいわゆる法の不知の場合にはあたらないと解されるから、本件は故意を阻却するものといわなければならない。(この点に関する従来の判例-大審院大正一一年一一月二八日判決刑集一巻七〇九頁-もまた、銃猟禁止区域において銃猟した罪について、銃猟禁止区域であることの認識があつた場合にかぎり故意犯が成立するとの見解を示したものと解されるのであつて、ただ同判決がその要旨として「狩猟法二二条三号の罪(現行狩猟法二一条一項二号の罪)は、銃猟禁止区域において銃猟をなすことによつて成立し銃猟をした場所が銃猟禁止区域に該当することの認識あることを必要とせず」と掲げているのは、他方たとえ右認識を欠いたとしても、その銃猟の場所が銃猟禁止区域であるかどうかを確認すべき責務を怠り不注意により銃猟をした者は故意に銃猟をした者と同様に処罰を免れない旨を判示しているところからみて、明らかなように、明文はなくとも、当該罰条には当然過失犯をも処罰すべき趣意が包含されている旨を示したものにほかならないと考える。なお同趣旨に出た旧要塞地帯法違反の罪についての大審院昭和一二年三月三一日刑集一六巻四四七頁参照。)したがつて、被告人は本件銃猟の場所が銃猟禁止区域に属することの認識があつたかどうかを問わず、被告人に犯意なしということはできないとして、被告人の故意を認定した原判決は、法令の解釈適用を誤り、ひいて事実の誤認を犯したものというべきであつて、右は当然判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。
しかも、前述のように、本件において、当時法令により必要とされた銃猟禁止区域を表示する適切な標識を欠いていたばかりでなく、右標識の設置管理についての責任権限が当初の警視庁から東京都に移管され、さらに都から地元の区役所にこれが実施事務を委嘱するにおよんで、いつしか末端の行政取締当局者側においても、本件銃猟の場所が告示所定の銃猟禁止区域に含まれていないかのような誤解を生じその誤解の下に事務が取り扱われていた疑が十分に存し、また現に銃猟監視委員の職にある者の中にも、右場所が銃猟禁止区域に属しないと信じていた者もあるというのであるから、かような特殊の状況の下において、被告人が本件銃猟の場所が銃猟禁止区域に属することの認識を欠いていたとしても、これに対し、不注意により確認の責務を怠り銃猟禁止区域において銃猟したとして過失の責を負わせることは当を失するものといわなければならない。
よつて刑事訴訟法第三九七条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書にしたがいただちに自判することとし、同法第三三六条後段により被告人に対し無罪の言渡をする。
(裁判長判事 兼平慶之助 判事 足立進 判事 関谷六郎)
弁護人植月浅雄の控訴趣意
一、原審判決は事実誤認の失当があり、御庁に於て御破棄さるべきものと相信ずる。
(イ)、原審は、罪となるべき事実とし、「被告人は昭和三十二年十一月二十八日午後四時過頃、銃猟禁止区域である、東京都足立区千住曙町五十九番地先新荒川筋において、英国製二連銃第六六〇九号の猟用銃砲を使用して銃猟を為したものである」、との事実を、「現行犯人逮捕手続書、司法警察員の差押調書、領置調書、検証調書、証人阿部登、証人広尾信義の各当裁判所に対する供述調書、被告人の当公廷に於ける供述及同人の司法警察員及検察官に対する各供述調書(但以上何れも銃猟禁止区域認識の事実を除く)」、の証拠によつて確定し、狩猟法第二一条第一項第二号の法条を適用し以て、被告に対し有罪の判決をされた。(ロ)、しかし、弁護人はこの判決は事実誤認であると相信ずる。本件に於て、被告が銃猟をした場所は、判示の場所で、東京都足立区千住曙町五十九番地先新荒川筋であることは、被告の争わない事実であるが、この場所が、銃猟禁止区域である、との事実は当時被告は知らなかつた。即ち禁止区域であることの認識がなかつた、と主張しこの場所は銃猟してもよい場所と信じていたと、公訴事実を争つているのである。而して原審判決は其法条の適用及弁護人の主張に対する判断と題しての記載内容から判ずれば本件を故意犯と判断し、過失犯としての認定でないことが知れる。然らばこの認識のあつたものと原審は認定されたと見るの外はないが、原審挙示の以上の証拠ではこれを肯定することはできない。どの部分にも、これと思う部分がない。加うるに被告がこの認識を欠いだとする理由には首肯し得る十分なものがある。即ち、(1) 、標識、此の場所に狩猟法施行規則第二十五、四条による銃猟禁止区域を表示する標識(立札)がなかつた、ので禁止区域であることを知るに由なし、であつた。此の場所には標識が初めから設置されてなかつた。標識はこの場所から、はるか上手の京成の鉄橋の北側に初め立てたことがある、けれども、これも昭和三十年頃に無くなり、其後はない、ことは、原審証人狩猟監視員福田尚、同足立区役所農産係長海老原和夫、同広尾信義の証言で明かに立証されて居る。(2) 、公然たる行為、白昼公然堂々と銃猟をしていた事実、司法警察官尾賀渡の調書によれば、被告は二番口径猟銃を据付けた、一屯半の稲村丸と称する自己所有の発動機船に、小舟を曳行させ、外に二連猟銃二挺と実砲とを所持し、午後四時過ぎごろ、本件事案の場所に達し、親舟を堀切橋から上手六〇米(通行人からすぐ見える位置)の処の水面に繋ぎ、曳行の小舟で、よし、の中に入り、十七、八発発砲し、ゴイサギ四羽を射落した、ことが証明され、全く、さの、隠秘性がない。若し被告にして、この場所が銃猟禁止区域であることを知つていたなら斯くも堂々とした行動には出なかつたであろう。この一事からしても被告がこの場所が銃猟禁止区域であることの認識がなかつたと謂わざるを得ない。(3) 、他人も入猟、被告人以外の猟人の多数が日頃この場所に於て銃猟をしている。これ等の者も標識がないので銃猟禁止区域であることを知らずに入るのである。このことは原審証人、狩猟監視員福田尚の証言及同阿部登の「禁止区域の処で狩猟できるなら射たせてくれという話もあつたと云うが何時の頃の事か、本件前十日程で猟友会の人からの話です」。との供述、この事実からしても被告人が銃猟禁止区域であることを知らなかつたであろう、ことが証明される。(4) 、逮捕に際しての問答、被告人は本件検挙の阿部巡査に禁猟区の札がないのにどうして逮捕するかと抗弁し、同人と問答した事実がある。即ち証人広尾信義は此の点について「立札がないのにどうして禁猟区と区別できるか、と言いましたところ、お巡りさんが、今は立札はないが法律で禁止しているところなので逮捕する。警察へこい、と申しました。何処で言つたか、舟から陸へ上るときでした。」と証言している、事実からしても被告人が銃猟禁止区域であることを知らなかつた事実が証明される。以上四つの事実は一件記録によつて証明されていてこれによれば被告人が不知即ち認識なしと主張することは当然である。然るに原審判決がこれ等の事実を無視して、本件について故意犯とし事実を確定されたことは事実誤認の甚だしい失当がある。
二、原審判決は採証の法則無視の失当がある、
弁護人はこの段階で一言附加弁明いたしましよう。原審証人阿部登巡査は、右(4) 、の項に於て弁護人が陳述する如く同人が本件逮捕の際、立札の有無について、被告と同巡査との間に問答があつたにもかかわらず、同巡査は原審の昭和三十三年十二月二十二日の検証現場に於ての証言は全く偽証し、「堀切橋の左側のたもとに立つていました。しかし現在はない様です」と供述したので、弁護人は強く反問した事実がある。すると其翌二十三日の日附で、同巡査の駐在する交番と、極めて近距離の処の堀切橋駅の駅員窪寛、日原泰重、木村寛司の三名から、事実答申書と題し、右阿部巡査の証言を裏書きする、水上警察署長宛の書面が検察官から公判に提出された。弁護人はこの書証は怪しんだ。なぜなら弁護人の近隣者について当初調査したところでは、この場所に立札のあつたことはないと言明を得ていたからである。そこで弁護人は其真偽を確定するため、この三名を証人として喚問を求めた上の供述は其調書で明らかな如く、(い)、書面作成の場所について、窪は水上署で、日原は水上署の面識ある人が堀切駅に来て書かされ、木村は水上署の綾瀬橋の近くにいる人に様式を示され堀切駅で書いた。他の人も駅で書いたと思うと云い、(ろ)、立札のあつたと云う場所について、窪は橋の下の土手の見える所にあつたと云い、日原は橋の傍で道路上か土手の所かはつきりしない。木村は葛飾に向つて左側の所にありましたが、道路の処か土手の所かははつきりしない。(は)、立札の文句について、窪はこの橋の上流は禁止区域云々とありました。日原、木村は判然せぬ。(に)、立札の色について、窪は白塗り、木村は憶いだせない。(ほ)、存在の時期について、窪は、はつきりしない。木村は冬寒い時にあつたから、(へ)、阿部巡査の氏名について、三名とも阿部巡査の氏名を云わない。面識ある人だとか、近かくにいる人だとか、で殊更に秘匿することに努めた。証言自体、くいちがい、且法廷に於ての態度そのものが到底真実を物語るものとは全然見えない。これによつて、前陳の三通の書証は全然信憑力はない、ことが証拠づけられた、が弁護人は更に反証として前陳の、福田尚狩猟監視員、海老原和夫足立区役所農産係長狩猟監視員、を証人として喚問を求め、元々この場所に立札の設置がなかつたことを立証し、尚お当初禁止区域の標示設置に現実に立会つた足立区役所税務係、(元狩猟係)板越茂を、この場所でなく、これより上手の京成の鉄橋の処に設置した事の立証の為めに証人とし申請した。これについて原審判事は上陳の三名の書証竝証言は、その真実性がないのでこれ以上この反証の必要を認めないとのことで不許とされている。然るに驚くべし、原審は判決書参枚目の表に於て、「右標示が曽ては存在して居た事は証人窪寛、同日原泰重の証言で認められるのみならず」、と判示された。採証の自由は裁判官にあることは弁護人も、これを争わない。しかし、上陳の訴訟関係の下に於ての証人の証言を採用して有罪の判決の資料に供せられた、ことは其失当も、ここに至つて甚だしく、この点に於て原審判決は破棄さるべきものと弁護人は相信ずる。
三、原審判決は錯誤に対しての法則の誤解の失当がある、
弁護人が原審に於て、本件犯行地域が銃猟禁止区域である事を知らずして銃猟したものであつて其事は取りも直さず事実の錯誤に基く所為であるから刑法第三八条第一項に謂う罪を犯す意なき行為に該当して無罪だとの主張に対し、原審は「苟も法令の内容に該当する行為を認識して之れを敢行する限り犯意なしと云う事は出来ないのであつて本件に於て銃猟禁止区域たる判示地域で銃猟する認識のあつた事は被告人も亦自認する所であり云々犯意のあつた事は多言を俟たない」、と判決された。しかし、この判示は問に対しての答えになつていない。なぜなら、弁護人は本件に於て被告は本件地域が銃猟禁止区域であることを知らなかつた。即ち銃猟禁止区域であることの認識がなかつた。若し被告がこれを知つていたら、この地域で銃猟はしなかつたのである。換言すれば人を人と見なかつたが故に一撃を加えて殺害したが、人を人と見たなら一撃を加えなかつたとする場合である。されば或は過失は認められるとしても、故意の成立しない、ことは明らかであると弁護人は相信ずる。銃猟禁止区域で銃猟をすれば法律で処罰されると言う法律の不知を主張することは刑法第三八条第三項によつて許されないが、具体的に、この場所が禁猟区であるとの、ことを知らなかつたと主張することは犯罪事実そのものに関する錯誤であって即ち知りて尚お且つ犯すのでないから刑法第三八条第一項に云う罪を犯す意なき行為として処罰されない、ものと弁護人は相信ずる。然るに原審は、本件断罪の証拠として、被告人の当公廷に於ける供述及同人の司法警察員及検察官に対する各供述調書(但以上何れも銃猟禁止区域認識の事実を除く)との被告人の供述を引用し、即ち被告人は銃猟禁止区域を認識したことは供述してない、として置きながら、ここでは、てんずけに銃猟禁止区域であることの認識のあつたことは被告人も亦自認する所であつて犯意のあつたことは多言を要しない、と判示されているからである。されば原審判決は、この点に、おいて理由不備か、理由齟齬か、錯誤についての誤解か、何れにするも甚だしい失当がある。人の善意の行動に対して刑罰を以て臨むことが果して刑政の目的であろうか。
四、原審は狩猟法施行規則第二十五条、第二十四条を誤解して判決された失当がある。
狩猟法施行規則第二十五条、第二十四条によれば銃猟禁止区域を都道府県知事が設定したときは遅滞な名称、く、その区域及び存続期間を告示するとともに区域を表示するため必要な標識を設けなければならないのに本件の場所には其標識が設けられてないから犯罪の対象となる効力がないとの弁護人の主張に対し、原審は、「標示は曽ては存在して居た事は証人窪寛、同日原泰重の証言で認められるのみならず(この事実認定の誤りであることは前陳の通りである)仮りに之れなしとするも右禁止規定は昭和五年十月十五日発布施行せられたものであるから、右標示の有無に不拘其効力を発し云々標示の設置は法の周知徹底を計る方法を示したものであつてこれを欠いだからとて法の消長に影響を及ぼすものではない」と判決された。本銃猟禁止区域は東京都が設定したものであるが、右施行規則によつて其告示と標識の設置を共にしなければ表示方法を欠くことは茲に多言を要しない。然るに原審は告示だけで標示の設置がなくてよい、とすることは明らかに該規則無視の判決であつて失当である。なぜなら周知徹底を計る方法としては、告示よりも標示の方が優るからである。猟人が具体的に、どこが禁止区域であるかを、知るには標示をたよりにしているのである。されば原審判決は同法誤解の失当がある。然り而して原審判決は判文に於て、「右禁止規定は昭和五年十月十五日発布施行せられた」、と判示し、告示を目して法規の如く解して判決されているがこれは全く誤解であると弁護人は相信ずる。斯る誤解があるためにこそ弁護人が前三、の論旨で主張する錯誤に対しての原審の誤解が生れたものと相信ずる。